托鉢について自分が今思っていること

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托鉢とは?
僧侶が鉢(お椀のようなもの)を手に持って外を回り、金銭や食料などをいただく行為

駅前などで、托鉢という行をしている僧侶の方を時折見かけます。以前の自分は、托鉢中の僧侶と出会った時、どのように振る舞えば良いのかわかりませんでした。

「彼らは修行中なのだろうか…近づきにくそうだし…お布施をするのだろうか。相場はいくらなのだろう?」などと、不謹慎なことを考えていました。

その結果、AIのように短時間で適切な答えが出せるはずもなく、「危うきに近寄らず」とばかり、遠巻きにして通り過ぎていました。

しかし、ある時、手に取った本に托鉢について触れられていて、その内容に、深く感銘を受けました。
自分はその時、勤めていた会社が経営難に陥り、抱えていたローンの返済に悩まされ、貧しさを嘆いていた時のことでした。

托鉢とは?

初めて托鉢という行を考案されたのは、お釈迦さまとのことでした。

お釈迦様は、托鉢に出る弟子たちに対して、
「托鉢をする際は、裕福な家ではなく貧しい家を訪れなさい」
と語られたとされています。弟子たちはその理由に疑問を抱き、
「どうして裕福な家ではなく、貧しい人々の家を回るのですか。教えていただけますか。」
とお釈迦さまに質問しました。

お釈迦さまはこうお答えになりました。
「貧しい人々とは、これまで周囲に施しを行ってこなかった人々です。そのため彼らは苦しんでいます。彼らの貧しさから救いの手を差し伸べるために、托鉢行という行為に励むべきです」と。

これは、金額の大小の問題ではなく、施しの行為自体に深い意味が込められています。与えたものは返ってくる、そしてそれは2倍となって返ってくるようです。

これはお金に限らず、他にも当てはまる法則です。愛情を与えれば2倍の愛情が返ってきますし、逆に憎悪を放つと2倍の憎悪が返ってきます。

貧しい人々は、自身に施しを行う力や財力がないと思い込み、これまで施しを行ってこなかった人々です。
その結果、生活が苦しく、貧しい生活を送ることになっていたのです。以前の私も同じでしたが…

先に施しありき(出すのが先)

「出入り口」を「入り出口」とは言わないのは、まず「出る」が先にあり、その後に「入る」が続くからです。
「呼吸」における「呼」は息を吐き出すこと、「吸」は息を吸い込むことを指します。これも吐く(出す)行為が先行し、それから吸う(入る)行為が続きます。

宇宙の法則によれば、投げかけた行動やエネルギーが自分に返ってくるようです。そして返ってくる際には、2倍返しとなるようです。これは、ネガティブなことにも当てはまるので、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」は言わない方が得策です。

「ゆとりがあったら、施しができるのに」と思っている人は、実はこれまで施しを行ってこなかったため、今現在ゆとりがなくなっているということのようです。
これは、今まで自分が思っていたこととは全く逆の発想でした。

托鉢を行う僧侶たちは、お金をもらいに来ているのではなく、施しの行為をする機会を提供しているのです。この因果関係を理解すると、托鉢で寄付をした場合、寄付を受ける側から「ありがとうございました」という感謝の意を伝えて帰ることが適切な作法であることがわかります。

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